岐阜市街を歩く‐岐阜三社、岐阜大仏、信長居館跡から河原町

JR岐阜駅の金ぴかの織田信長像を後に北に向かいます。まず向かうのは同じく金ぴか鳥居の金神社(こがねじんじゃ)。祭神は渟熨斗姫命(ぬのしひめのみこと)。金神社では毎月最終金曜日、月に一日だけ御朱印の社名を金色にするそうですので、御朱印マニアの方はどうぞ。小金神社のホームページはこちら

金神社の鳥居
金神社の鳥居

小金神社から北へ歩いてすぐ、岐阜柳ヶ瀬商店街です。柳ヶ瀬商店街は通称で、柳ヶ瀬地区に集まる複数の商店街の集合体のようなものです。取材の日は午後から歩くことにして、商店街に入ってすぐのポーヤイというタイ料理屋さんでランチにしました。味は本格的とは言えませんが、手軽にランチを取ることができます。

ポーヤイ
ポーヤイ

柳ヶ瀬商店街は通過するだけ。今は引退したゆるキャラ、やなながまだ使われていました。

やなな
やなな

柳ヶ瀬本通りへと右折して、粕森公園の方、東方向に進みます。粕森公園からは水道山展望台を経て金華山に登る道もあるようです。

粕森公園
粕森公園

公園の脇にあるのが橿森神社。神社の裏手は岩場になっており、駒の爪岩と呼ばれて、伝説がある場所です。古代の磐座でしょうか。

橿森神社
橿森神社

このあたりは織田信長が楽市楽座を開いた場所に近く、信長神社もありました。ちなみにそれまで井ノ口だった地名を信長が岐阜に改めたのは、1567年だそうです。

信長神社
信長神社

道を北へと向かいます。山に沿ったなかなか風情のある道です。とても昭和な魚半食堂。すごいものが出るとは思えませんが、一度入ってみたくなるたたずまい。

魚半食堂
魚半食堂

すぐに鶯谷に出て、円龍寺があります。円龍寺の大イチョウは高山市国分寺の銀杏に次ぐものとして、岐阜県の天然記念物に指定されています。

円龍寺の大イチョウ
円龍寺の大イチョウ

円龍寺の隣には慈恩寺があり、地蔵堂が建っています。ここにあるのが藤原時代の木造延命地蔵菩薩像と、木造芭蕉像。ただし通常は公開されていないようです。

慈恩寺の地蔵堂
慈恩寺の地蔵堂

寺社が多い一帯をさらに北上すると、東に切れ込んだ谷の奥にあるのが伊奈波神社。祭神は五十瓊敷入彦命(いにしきいりひこのみこと)、古事記・日本書紀によると第十一代垂仁天皇の長男で、伊勢神宮を創建した倭姫命の兄とされています。伊奈波神社は金神社や橿森神社と比べると、ずいぶん大きな神社です。

伊奈波神社
伊奈波神社

さらに北上し、かつて市電が走っていた大通りに出ると常在寺。斎藤道三が菩提寺とし、その子、斎藤義龍斎藤龍興を含めた斎藤氏3代の菩提寺です。

常在寺
常在寺

次は岐阜大仏のある正法寺。正法寺の建物(大仏殿)は濃尾大震災でもびくともせず、のちの耐震建築の参考になったとか。

正法寺大仏殿
正法寺大仏殿

岐阜大仏の解説は岐阜観光コンベンション協会のホームページから引用しておきます。

日本三大仏の一つに数えられるこの大仏は乾漆仏としては日本一の大きさを誇ります。

天保3年4月(1832年)に、実に38年の歳月を費やして完成しました。

堂の高さ25.15m、廻り19.39m、仏像は坐像で、高さ13.7m、耳の長さ2.1m、鼻の高さ0.4m。大イチョウを直柱として、骨格は木材で組み外部は良質の竹材と粘土で造られ、その上を一切経で糊張りし漆を塗り金箔を置いたものです。胎内には薬師如来がまつられています。

https://www.gifucvb.or.jp/sightseeing/detail_kankou.php?eid=00007
岐阜大仏

岐阜大仏から岐阜公園は目と鼻の先。岐阜公園では織田信長公居館跡の発掘現場を見て回ります。子どものころに岐阜公園には何度も来ましたが、当時は発掘もされておらず、織田信長がここに住んでいたとは知りませんでした。ルイス・フロイスもこの地を記録していますが、かなり壮麗なものであったようです。

織田信長公居館跡
織田信長公居館跡

瓦などの出土品の展示がある信長居館発掘案内所に立ち寄って、少し歴史を勉強してから河原町へ。温泉旅館で日帰り温泉を利用しようかと思っていましたが、コロナのため閉まっていました。

岐阜河原町
岐阜河原町

ここからは岐阜駅まで歩いて帰りましたが、疲れていたらバスもたくさん出ています。

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